発掘調査

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発掘調査報告
<調査方法と目的>
 磁気探査をもとに、窯の構造を調べるためにトレンチを掘り、焼成室の部屋数を確認しました。また、窯跡に伴う作業場と遺跡の範囲を確認するために平坦面で5ヶ所トレンチを掘りました。

<調査成果>
 弥七田古窯跡には、連房式登窯が2基(1号窯、2号窯)あることが確認されました。
 1号窯は、残存長が水平距離で約12.7m、幅は煙道部(窯尻)付近で約2.5mの連房式登窯で、部屋数は少なくとも7室以上あると考えられます。1室の長さは約1.6mです。保存状態が良好であったため、狭間の構造や床面の状態を確認することができました。無段斜狭間と呼ばれる狭間構造で、平面の形が角形や丸形の狭間柱や天井支柱がみられます。
 2号窯は、1号窯の上に造られた連房式登窯で、残存長は約3.0mであり、燃焼室と焼成室第1室が確認されました。燃焼室の長さは約1.3m、焼成室第1室の長さは1.5m以上です。焼成室第2室以降はすでに消滅していました。狭間は有段斜狭間構造です。
 弥七田古窯跡は、遺構の状況から見て、1号窯が使われなくなった後に、2号窯を造ったと考えられます。弥七田1・2号窯の操業年代は、連房Ⅰ段階後半から連房Ⅱ段階頃にあたり、17世紀前葉ごろ、10年ほどの短い期間で操業されていたと思われます。
 また今回行った平坦面の調査では、窯跡に伴う作業場や住居とみられる遺構は検出されませんでした。遺跡の範囲は、窯を中心に遺物の分布が確認される、南北に約40m、東西に約60mの範囲と想定されます。

<出土遺物>
 天目茶碗、鉄釉や長石釉の碗類が多く出土しています。1号窯で焼成されたと思われる遺物には鉄釉丸碗や弥七田織部の鉢がみられます。2号窯の2次(最終)床面直上からは御深井釉が施された蓋が出土しました。御深井焼とは、長石に木灰を混ぜて作った釉薬を用いた青磁を思わせる焼き物です。尾張藩が名古屋城の御深井丸に窯を造り、そこで焼かれた製品と似ていることから御深井焼と呼ばれています。大萱の陶工は、型紙を使って文様をつけるなどの青磁の手法を積極的に取り入れ、御深井焼を制作したと考えられます。
また今回の調査では大窯製品である灰釉折縁皿や志野丸皿なども出土しています。
製品の他に、エンゴロなどの窯道具(製品を焼く際に使用する道具)が出土しました。牟田洞古窯跡・窯下古窯跡のものと共通する「山二つ重ねたもの」や「千」などの記号を持つ窯道具からは、3つの窯跡の有機的なつながりがみられます。窯記号は発注元を分かりやすくするためのサイン、同じ陶器を作る集団のサインなどとして付けられていたと考えられます。弥七田古窯跡では「山二つ重ねたもの」の記号が刻まれた窯道具が、牟田洞古窯跡・窯下古窯跡よりも多く見られます。



1号窯 床面の出土状況


1号窯 煙道付近焼台出土状況


2号窯 焼成室床面


出土遺物の一部





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